火野正平さんといえば、昭和を象徴するモテ男として、その自由奔放な恋愛遍歴や個性的な家族構成で多くの注目を集めてきた俳優です。
結婚歴や事実婚、さらに3人の女性との間に生まれた5人の子供たち。
一見複雑に思えるその背景には、火野さんならではの愛情深くユニークな物語が隠されています。
彼の人生に迫り、どこか羨ましさを感じるような魅力を徹底調査しました!
火野正平の家族構成
- 妻とパートナー
- 最初の妻:1971年に一般女性と結婚。戸籍上は婚姻関係が続いている?
- 事実婚のパートナー:1982年頃から元宝塚スターのマネージャーをしていた一般女性
- 望月真理子さん(女優)
- 子供の人数:5人
- 長男:最初の妻との間に生まれる(名前や詳細は非公開)
- 長女:最初の妻との間に生まれる(名前や詳細は非公開)
- 次女(ひなさん):望月真理子さんとの間に生まれる。
- 三女(小嶋喜生さん):事実婚のパートナーとの間に生まれる。ジュエリーデザイナーとして活躍。
- 四女(小嶋野生さん):事実婚のパートナーとの間に生まれる。三女と共にジュエリーブランド「yoi」を運営。
火野正平さんの家族構成は、一見して「複雑」だと感じる方もいるかもしれません。
確かに一般的な家庭と比べると変わっている印象に見えるかもしれませんが、それだけ彼の人生が豊かで自由であったことの証とも言えるのかもしれません。
それでは、火野さんの結婚歴や事実婚の背景、そしてその中で生まれた5人の子供について、さらに詳しく見ていきましょう。
火野正平の結婚歴
火野正平さんといえば、昭和を代表する俳優でありながら、その自由奔放な恋愛遍歴でも注目を集めてきた人物です。
それでは、火野正平さんの「昭和のモテ男」と呼ばれる所以でもある結婚歴や事実婚について、詳しく探っていきましょう!
1970年に一般女性との結婚
火野正平さんが最初に結婚したのは1970年、相手は芦屋の名門学校出身の一般女性でした。
当時から火野さんは俳優として注目されていましたが、家庭生活は意外と質素だったようです。
彼はこの女性を「最初の母ちゃん」と呼び、「肝が据わっている人」とも語っています。
しかし、1972年に女優・新藤恵美さんとの不倫が報じられ、「離婚した」とされるニュースが流れました。
ただ、その後も連絡を取る仲だったようで、数年前に久々に連絡を取った際には、「帰っておいで」と言われたものの結局戻ることはなかったとか。
「あまりにも怖いんだもん」
と笑いながら語る火野さんのエピソードには思わずクスリとさせられますね。
1972年に一般女性と離婚報道は実は?
前述のとおり1970年に結婚した一般女性とは「離婚した」とされるニュースが流れましたが、実際には離婚届が提出されておらず、戸籍上は現在も最初の妻との婚姻関係が続いていたと発覚!
この事実はかなり驚きですが、ではなぜ離婚届が提出されていなかったことがわかったのでしょうか?
これは、火野正平さん自身が2016年のインタビューで「最初の母ちゃんとは戸籍上まだ夫婦のまま」と語ったことがきっかけです。
さらに彼は、
「籍を抜いて今の母ちゃんを入れてやりたいんだけど、最初の母ちゃんも思うところがあるみたいでね」
とユーモア交じりに語りました。
火野さんはこの妻と10年以上も連絡を取っていないと語っており、現在も複雑な関係が続いています。
それでも火野さん自身は、「昔のことはすべて含めて今の自分がある」と受け入れており、この飾らない態度が彼の魅力の一つともいえるでしょう。
家庭環境が一般的でないにもかかわらず、どこか愛嬌のある火野正平さんらしいエピソードではないでしょうか。
1982年頃から別の女性と事実婚
1982年頃、火野正平さんは元宝塚スター鳳蘭さんの個人事務所のマネージャーを務めていた一般女性と事実婚状態に入りました。
この女性を「今の母ちゃん」と呼び、40年以上の長い関係を続けています。
火野さんはインタビューで
「『一緒に住んだのは3年くらいだね』って言われるんだよ。俺は仕事で年中家を空けてるけど、母ちゃんは何もごちゃごちゃ言わないからいい」
と語っています。
また、「母ちゃんが俺に黙って何かを決めるのがいい」との言葉からも分かる通り、彼は相手を尊重しつつも独自の距離感を保ちながら生活を続けています。
この女性との間には2人の娘が誕生し、現在はジュエリーデザイナーとして活動しています。
「家族と酒を飲むこともあるよ」
と語る火野さんは、娘たちとの関係も良好なようです。
これほど長く寄り添える関係を築けるのは、火野さんの魅力と「今の母ちゃん」の包容力あってこそですね。
1979年には望月真理子さんと関係も
1979年、火野正平さんは女優の望月真理子さんとの間に娘・ひなさんをもうけましたが結婚はしていません。
当時の火野さんはモテ男として大注目で、関係が複雑になる中でも、望月さんは
「火野さんと一緒にいられるだけで良かった」
と語っています。
この言葉からも、彼女がどれほど火野さんを愛していたのかがうかがえます。
ただ、望月さんが妊娠している間も火野さんは他の女性とも噂が絶えませんでした。
それでも、「あの人が真理子という女と暮らして良かったと思ってくれるだけでいい」と望月さんが述べたことは、火野さんの独特の人間性が女性たちに受け入れられていた証拠でしょう。
望月真理子さんは2000年に50歳の若さで亡くなりましたが、火野さんは彼女との娘を認知し、現在もその存在を大切にしています。
奔放な性格は時に驚かされますが、誠実な一面も垣間見えるエピソードではないでしょうか。
火野正平の子供は5人
火野正平さんといえば、その結婚歴や事実婚のエピソードも興味深いですが、さらに注目すべきは、3人の女性との間にもうけた5人の子供たちです。
それぞれ異なる環境で育ちながら、個性豊かに成長を遂げています。
子供たちのプライベートは多くがベールに包まれていますが、中には輝かしい活躍を見せている方も!
では、火野さんの子供たちの詳細について、エピソードを交えながら詳しく見ていきましょう。
長男:最初の妻との間に生まれる
火野正平さんの長男は最初の妻との間に生まれたお子さんです。
しかし、長男についての詳細な情報は公開されておらず、プライベートが徹底して守られています。
火野さんはインタビューで
「子供がいると、そいつの人生にどう影響するかが怖い」
と語ったことがあり、息子に関してもその方針を貫いているのかもしれません。
長女:最初の妻との間に生まれる
長女もまた、長男と同じく最初の妻との間に生まれました。
彼女についても詳細な情報は非公開ですが、火野さんは
「うちの子供たちは、あえて表に出さないようにしている」
と明言しています。
この発言からも、子供たちが静かな環境で成長することを大事にしている様子がうかがえます。
静かに見守る親の姿勢、これも一つの愛情の形ですね!
次女:ひなさん(望月真理子さんとの間に生まれる)
ひなさんは、1979年に火野正平さんと女優の望月真理子さんとの間に生まれた娘です。
画像等はありませんでしたが、火野さんは彼女を公式に認知しており、父親として記録されています。
当時、望月さんは妊娠中にもかかわらず、火野さんの自由奔放な女性関係が世間を騒がせていました。
しかし、望月さんは
「火野さんが真理子という女と暮らしてくれれば、それだけでいい」
と語り、火野さんへの深い愛情を表していました。
この一言、普通ではなかなか理解できないほどの度量ですよね。
まさに火野さんだからこそ引き出せる女性の本音かもしれません。
その後、望月真理子さんは2000年に50歳の若さで亡くなりましたが、火野さんはひなさんとのつながりを大切にしているようです。
ひなさん自身についての情報は少ないものの、母親譲りの知性と品格を持つ素敵な方だと推測されますね。
三女:小嶋喜生(ヨイ)さん(事実婚の女性との子供)
三女の喜生さんはジュエリーデザイナーとして東京を拠点に活躍しており、ブランド「yoi」を手掛けています。
火野さんは娘たちのことを
「何かをやるときの覚悟があるから安心して見ていられる」
と語っており、子供たちの独立した姿に誇りを持っているようです。
「俺、あいつらの邪魔しないのが一番いいだろ?」
と笑いながら話す火野さん、娘たちへの信頼が伝わってきますね。
四女:小嶋野生(ノイ)さん(事実婚の女性との子供)
四女の野生さんも姉と同様、ジュエリーデザイナーとしてブランド運営に携わっています。
ハワイでの展開もスタートさせるなど、グローバルな視点で活躍していることが注目されています。
火野さんは
「二人でやってるからこそ、面白いものが作れるんだろう」
と語り、娘たちが協力し合う姿に目を細めているようです。
火野正平さんが築いた家庭環境が、二人のデザイナーとしての才能を育んだのかもしれませんね!
火野正平の昭和のモテ男伝説
火野正平さんといえば、「元祖プレイボーイ」の異名を持つ昭和を代表するモテ男。
なんと「最高で11股」を自ら認めるほどの女性遍歴が話題となりました。
しかもその女性たちは皆、後々まで火野さんに悪評を言わないどころか、むしろ好意的に語るというのだから驚きです。
しかし、火野さん自身はインタビューで
「自分から振ったことはない。いつもフラれてるんだよ」
と語っています(笑)
さらに、11股の真相を振り返ると
「二股どころか何股か分からないときもあった」
と苦笑いする火野さん。それでも、周囲からは「火野だからしょうがない」と思われていたそうです。
この脱力感と愛嬌こそが、火野正平さんが「憎まれないプレイボーイ」として認知されている理由なのでしょうね。
まとめ
火野正平さんは、その自由奔放な恋愛遍歴と個性的な家族構成で、昭和から令和に至るまで人々を魅了し続けています。
彼の人生には波乱が多いですが、どこか憎めないキャラクターが、ファンに愛される理由かもしれません。