北の富士勝昭さんといえば、昭和を彩る横綱として知られる一方、その家族構成や結婚歴にも注目が集まります。
再婚した妻や子供の存在、そして愛情たっぷりに接していたという孫娘たちのエピソード。
華やかな人生の裏に隠された家族の物語とは一体どんなものなのでしょうか?
気になる北の富士さんの結婚や家族について、調査していきます!
北の富士勝昭の家族構成
- 婚約者と妻:
- 婚約者:羽永共子さん(1974年に婚約するも、のちに婚約解消)
- 最初の妻:(1975年結婚、後に離婚)
- 2人目の妻:松木真理さん(1985年再婚)
- 子供:
- 娘:2人目の妻・松木真理さんとの間に1人と言われている(名前や詳細は非公開)
- 孫:
- 孫娘:少なくとも2人(溺愛されていたエピソードが多数)
北の富士勝昭さんは、2度の結婚を経て家族を築いてきました。
それぞれの妻との間で個性あふれるエピソードがあり、溺愛している孫娘たちとの交流が温かく語られています。
華やかな土俵生活の裏側には、家族との心温まるストーリーが詰まっていたんですね。
では、次にその結婚歴や家族の詳細を深掘りしていきましょう!
北の富士勝昭の結婚歴
北の富士勝昭さんは、昭和のモテ男として華やかな恋愛遍歴を持ちながら、2度の結婚を経験されています。
それぞれの妻とのエピソードには、彼の人柄が表れる印象深いエピソードが詰まっています。
それでは、その結婚歴について詳しく探っていきましょう!
1974年に羽永共子さんと婚約
北の富士さんの最初の婚約者は羽永共子さん、劇団四季で活躍したミュージカル女優でした。
当時、彼女はバレエ教師兼バレリーナとしても知られ、美しい容姿とスポーツ好きな性格で注目を浴びていました。
しかし、報道によると、この結婚は入籍前に破局したとも言われています。
北の富士さんはこの時期についてあまり多くを語りませんが、
「自分に見る目が足りなかったのかもしれない」
と後年語ることもありました。
お二人の関係は短かったものの、その後も羽永さんは美しさと才能が今も多くの人々の記憶に残っています。
1976年に富子さんと結婚し離婚
1976年9月、当時井筒親方であった北の富士勝昭さんと富子さんの結婚式が行われたとされています。
結婚式の画像が確認されており、話題になりましたが、詳細な情報に関してはほとんど明らかにされていません。
この結婚生活の中で子供をもうけたという情報も一部で語られていますが、確証がなく、公表された事実ではありません。
さらに、この結婚はその後離婚に至ったとされています。
華やかな相撲界のスターだった北の富士さんですが、プライベートは謎に包まれた部分も多く、ファンの興味を引き続けているようです。
1985年に再婚した妻・松木真理さん
再婚相手は銀座のクラブ「司」で働いていた松木真理さん。
北の富士さんとは1985年にハワイで盛大な挙式を挙げています。
当時、北の富士さんは43歳、松木さんは34歳と、9歳差の夫婦でした。
北の富士さんは彼女について
「自分を飾らずに接してくれる女性だった」
と語っています。
松木真理さんとの結婚生活は、彼の豪放な性格と共に幸せな時期だったのではないかと思わせます。
しかし、その後の関係については明らかにされておらず、晩年は独り暮らしだったとの報道があります。
過去にはプレイボーイ横綱にも失恋が?
おまけ的なエピソードですが、華麗な恋愛遍歴で知られる北の富士勝昭さんにも、意外にも甘酸っぱい失恋のエピソードがあります。
それは、まだ現役力士として活躍していた頃、高知県の料亭「濱長」を訪れた際に起きたことでした。
北の富士さんは、料亭の次女である賀世さんに一目惚れ。
なんとその場で親御さんに
「出世したらお嫁にください!」
と申し出たそうです。
ですが、賀世さんはまだ高校生でした(笑)
親御さんもその申し出を受け流す形で対応したと言われています。
その後、賀世さんが婚約していたことを知った北の富士さんは大きなショックを受けたそうで、やけ酒をあおったという話も残っています。
こんな純粋で真っ直ぐな一面があるからこそ、角界のモテ男として多くの人を惹きつける魅力があるのでしょうね!
北の富士勝昭の子供と孫
相撲界の伝説的存在である北の富士勝昭さんですが、プライベートでは家族への深い愛情を見せていました。
再婚した妻との間に誕生した娘や、特に溺愛していたという孫娘たちについて、微笑ましいエピソードがいくつも残っています。
それでは、北の富士さんの家族について詳しく探っていきましょう!
北の富士勝昭には娘が2人?
北の富士勝昭さんには、子供がいるとされていますが、その詳細は非常に曖昧で、はっきりした情報が公表されていません。
一部では、最初の妻や富子さんとの間に娘がいるとの説もありますが、再婚相手の松木真理さんとの間に子供がいるとも言われています。
再婚した1985年以降に子供が誕生している場合、その子供は現在30代半ばから40代前半と推測されます。
ただし、北の富士さんは家族のプライバシーを非常に大切にしており、公の場で子供について語ることはほとんどありません。
このため、どの結婚生活の中で子供が誕生したのか、具体的な人数や名前についての確定情報は確認できません。
プライベートに関する情報が極めて少ないため、多くの部分が謎に包まれたままです。
孫娘が2人?溺愛エピソード
北の富士勝昭さんには、孫娘が少なくとも2人いるとされています。
2023年のコラムでは、
「孫娘2人が相撲観戦に来てくれて、夕飯を一緒にした」
と語っており、家族との楽しいひとときを満喫している様子が伝わってきます。
特に微笑ましいのは、
「久しぶりに孫と会ったら『じぃじ、かっこいい!』って言ってくれたんだよ」
と語ったエピソードです。
この言葉に対し、北の富士さんは
「こんな褒め言葉は、何回でも聞いていたいね」
と満面の笑みを見せたそうです。
辛口解説者として知られる彼も、孫の前ではただの優しい「じぃじ」だったのですね。
また、2022年3月、北の富士さんは「孫娘が物心つく頃の85歳まで生きることを目標にしている」と語っていました。
「物心がつく」とは一般的に3歳から5歳頃を指します。
この発言時点で孫娘は0歳から2歳程度と推測され、2024年現在では3歳から5歳ほどになっていると考えられます。
さらに北の富士さんは
「孫が女子プロゴルファーになったら嬉しい」
とも話しており、孫娘たちの未来に対して大きな期待を寄せていた様子がうかがえますね。
まとめ
北の富士勝昭さんは、第52代横綱として10回の幕内優勝を誇り、引退後は親方や辛口解説者としても相撲界に大きな足跡を残しました。
その活躍ぶりは相撲ファンのみならず、多くの人々に愛されました。
しかし、2024年に82歳で逝去され、多くのファンが深い悲しみに包まれました。
北の富士さんは「孫が物心つく85歳まで生きること」を目標に掲げており、最後まで家族や孫への愛情を口にしていたと言われています。
彼の家族との心温まるエピソードや、角界のモテ男としての華やかな恋愛遍歴は、今なお語り継がれています。
北の富士さんの存在は、相撲界にとどまらず、人々の記憶に生き続けることでしょう。
その功績と優しい人柄に、心から敬意と感謝を捧げます。